尊厳死について

19, 11月 2016 by SLkai7uK in 家族介護     No Comments

ターミナルケアという新しい問題

「尊厳死」については世界的に長く議論をされてきました。

若い時期には「いつまでもダラダラ生きるよりもさっさと死にたい」というようなことを簡単に口にしますが、実際に高齢になり死というものの存在を近くに感じるようになるとその時の勢いはどこへやら、どんな形でも一日でも長く生きたいと思うようになるものです。

尊厳死の問題の難しいところはそこで、実際に自分が死ぬということを強く意識をしたことがない人が簡単に他人の生命についてあれこれ言うということはできないのです。

ただ一方で既に悪性の病気が体中を蝕んでおり完全な回復が不可能になっている場合や、病気や治療に強い痛みを伴う場合にはいっそ楽にしてもらいたいと思ったりします。

そうした人に対して「命は尊いものなんだから簡単に死にたいなんて言ってはダメ!」といったありきたりの倫理観を説いてもそれはそれで自己満足にしかなりません。

結局のところ尊厳死の是非は今後も絶対に結論の出ない問題ですので、死に直面した人がその生死を自分で選択することができるよう、最大限の尊重をしてあげるということこそが周囲がすべき行動と言えます。

「尊厳死」という言葉だけを見るとなんとなく自分で毒を注射するなどして自ら死ぬことと誤解されそうですが、実際にはそうした積極的尊厳死は日本ではできません。

日本で一般的に言われる「尊厳死」とは延命のための治療を打ち切り、より安らかに亡くなることができるようなケアに切り替えるということを言います。

こうした亡くなることを前提とした治療方法を「ターミナルケア」と言ったりします。

本人の意志が確認できない時に家族はどうするか

ガンなどゆっくり進行する重い病気ならば「余命1年」といったある程度の考える余裕を得られることもあります。

ですが実際にはそうした本人が自分の寿命を予告されることというのは少なく、ある日突然に倒れてそのまま意識がなくなってしまったりして、本人の意志を確認できないまま延命するかという選択を迫られることになります。

尊厳死の問題と並んでデリケートな議論となるのがこの意識不明のまま生命が維持される状態で、果たして家族や周囲が勝手に本人の生命維持に必要な医療機器を外す選択をしてもよいかということが問題になります。

完全に寝たきりになり意識もなくなった人を生かすためにはその機器を使用し続けるためにかなり高額のコストがかかってきます。

装置をはずさなければおそらくは長く生きるだろう肉親に対し、コストを理由に外すという選択をするというのもまた家族としてはつらいところです。

ターミナルケアとはこれから亡くなる本人だけでなく家族をなくすことになる家族に対しても行われるものであり、そうした重大な生死の決断をすることになる人も対象です。

決断をする家族の心理的負担を和らげるためにも、できるだけ元気なうちにもし寝たきりになったらどうするかということを意思表示しておいてもらいたいところです。